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菜根譚-090(舎己毋処其疑)


我欲を捨て無心になり何かことを為そうと決めたなら、それを疑ってはならない。
何故なら、疑がうと云うことは自分を信じていない訳で、結局自分で自分を
辱めているようなものなのである。

また、他人に恩徳を施したなら、その見返りを求めてはならない。
もしそれに対する報酬を求めれば、折角の高い志を捨てることになるのだ。
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菜根譚-089(静中静非真静)


静寂な境涯その中で心が穏やかなのは当たり前、故にそこで感じる
心が靜かな心境は本物ではない。
かえって、喧騒な雑踏の中でも心が靜で落ち着いているならば
それこそ、本物である。

安逸な境遇で感じる楽しみは、誰もがそうなので本物の喜びではない。
苦衷の中でも、そこに喜びを見出すことが出来れば、初めてそこで
悟りの境地に達することが出来る。

愚作休題

年に数回写真のモデルをお願いしている
チカさんのポートレート。

多分、分かる人ならピンとくる有名な場所。
一枚目
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二枚目
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三枚目
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四枚目
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五枚目
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六枚目
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七枚目
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八枚目
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九枚目
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実は、この並びと逆に写真を撮ってます。

菜根譚-088(静中念慮澄徹)


内外共に気にかかることが一つも無く、心が静で澄み切っていれば
その時こそ、心の本体を見ることが出来る。
閑な時に、心持ちがゆったりとして、落ち着いていれば、
例えば、何かに触発されて活動するその、そのタイミングを
取らえることが出来る。

質素でしかもあっさりとした境遇の中にいれば、あの時は
ああだ、この時はこうだ、等とその時に悟ることの出来なかった
自らの体験の本当の意味を会得することが出来る。
自分の心の本体を知り、この世の成り立ちを理解するには、
この3つの方法に勝るものはない。

菜根譚-087(念頭起処)


まわりの事象に感化されて、心に思念が湧いてきた時に、私利私欲に
傾いていると気ずいたなら直ちに、その思いを反省して道義の方に
修正しなければならない。
それこそが、災いを転じて福となし、死から生に舵をきる大チャンス
であり、決して軽々に見逃してはならない。

何事も芽が出た時に摘み取れば、深みにはまることはないと云うこと。

菜根譚-086(閑中不放過)


閑な時に無為に過ごさず、常に前を見据えていれば、
忙しくなった時にあわてることなく、きちっと対処出来る。

物事が一段落して、次にやることもない静かな時に、緩めがちな
心を引き締めていれば、いざという時にすぐに活動出来る。
誰も見ていない所でも、良心に恥じず偽ら無ければ、
大衆の前で堂々と自分を主張出来る。

菜根譚-085(貧家浄払地)


貧しくても、家の中や周りを掃除してきれいにし、貧しい女でも
それなりに、髪を梳くなどして小奇麗にしていれば、見かけは美しい
とは言えなくても、どこか気品が漂い風雅が趣きがある。

よって、君子は困窮な失意の状態にあっても決して自暴自棄に
なること無くしっかりと身を保つべきである。

菜根譚-084(清能有容)


性格が清廉潔白でありながら人を受け入れる器量があり、
温和で慈悲深くしかも、いざという時に決断力があり、
明晰な判断力を持ちながら、だからといってそれに拠って人を傷つける
ことは無く、正直な者でありながら、奇矯な言動に陥らない。

これこそ実のある人物で、程よい蜜の入った食べ物であり、
塩辛すぎない食べ物のようなものである。
まさしく、中庸を心得た立派な人に違いない。

菜根譚-083(風来疎竹)


風がまばらに生えている竹林をかすめても、竹の葉のすれる音が
サラサラと聞こえるだけで、風が止んでしまえば元のまま。
雁(かり)が、寒潭(かんたん)を飛び越えて通り過ぎれば、
川面に影が映るが、過ぎてしまえば何も残らない。

君子もこれと同じで、何らかの関係が生じて初めて心の相が発現し
それが無くなれば、もとの無心で自由な心になる。

菜根譚-082(気象要高曠)


心の位相は、高く広くなければならないが、だからといって世事に
疎いようでは使いものにならない。
心使いは細やかで行き届いていなければならないが、さりとて
細事にこだわるあまり、ああだこうだと言い過ぎてはいけない。

趣味は淡白なのが身心のバランスが取れて丁度良い、しかし過度に
のめり込むと、それがアンバランスになり、異状を来たしてしまう。
節操は厳しく締める所は、きっかりしなければならないが、
さりとてそれが過激すぎてはいけない。中庸の心が必要である。

菜根譚-081(図未就之功)


これから何かを成し遂げようとするよりは、すでにある事業の発展を考えた
方がズット良い。
また、過去に犯した過ちを悔いるよりは、これからするかも知れない過ちを
未然に防ぐ方がはるかに優れている。

『ちょこ』と『まろん』

時々覗いている、猫『ちょこ』と『まろん』のサイトより
私の選んだベスト5をどうぞ!
リンクから行けます。

ベスト1


ベスト2
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ベスト3
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ベスト4
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ベスト5
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菜根譚-080(耳目見聞為外賊)


耳から聞こえる、すなわち自分を賞賛する声や、大脳皮質をかすめるだけの
低俗な歌、目から入ってくる卑猥なものは、外部から侵入する賊である。
情欲をかきたてる心の顕在、潜在意識は心の内部にすくう賊である。

ただ、自分さえ常心の位相を高め、中庸の精神を以って望んでいると
どのような凶賊も怖れをなして家来のように服従する。

菜根譚-079(人只一念貪私)


人は少しでも自分の為という欲念の心が生じると、その欲念が人が
生きる上で必要な力の源泉である元気の元の扉を閉じてしまう。
よって、剛毅の性質は力を失い柔弱となり、智慧は機能しなくなり、
恩徳を施す気持ちは、酷薄となり、清浄な心も汚れてしまって、
せっかく、生まれついた品格を台無しにしてします。
昔の賢人、司城子穿(しじょうしかん)は、貧らぬことを以って宝とした
とある。これは、何時の世も変わらぬ真理である。

菜根譚-078(泛駕之馬)


馬車を覆すほどの暴れ馬でも、きちんと調教すれば自由自在に
使いこなすことが出来る。
また鋳造用の金属で、取り扱いが難かしいものでも、その性質を利用して
うまくコントロールすれば、思いのままに器物を作ることが出来る。
所が何の目的も無く、ご飯を食べてテレビを見、その日、その日を
好しとして生きている人間は、一生涯進歩ということがない。

中国、明の時代の陳白砂は、生れながらに病弱を恥ずることはないが、
世の中を渡って行く上でいろいろ煩悶しながら成長することを知らないものは
我の憂いであると云われたのは正論である。

菜根譚-077(地之穢者多生物)


肥沃な土地は、汚らしいし匂いも臭いがそれ故栄養が豊かで
多くの作物を育てることが出来る。
逆にきれいで、澄みきった水には、ほとんど魚は棲まない。
この故に君子は、清濁あわせ持つ器量を養い、自分には厳しく
他人にはやさしい心つかいが必要である。

菜根譚-076(心不可不虚)


自分の心は、いつでも無心、謙虚にしておかなければならない。
そうすれば、他人の良い意見も素直に受け入れ、常に義理に適った
生き方が出来る。
次に心はいつも聖賢の教えなどを学び、道義で満たしておかなければならない。
そうすれば、つまらぬ欲望などに振り回されることがない。

アクセスアップのコツ


ここでは、菜根譚の現代語訳をオンリーに書いている。
その前は、アメブロで日記風に論語、大学、孟子、等について述べていた。
久しぶりに、アメブロで投稿して面白いサイトを見付ける。
結果としてアクセスアップにつながる、タイトルのつけ方等、初歩的なことから
奥深いことまで。
私も、それを参考にタイトル及びサブタイトルを変更。
NO1ではなく、only 1oneのファン作り
ブログの初心者は、必見です。

菜根譚-075(一苦一楽相磨練)


人生苦があれば楽ありで、いろいろなことがあるもの。
それを様々な場面で乗り越えるコツを掴んだ時に初めて
真の幸福を得ることが出来る。
また、時には疑い時にはそうだと思いながらも体験を通して
得られた知識こそ、偽らざる本物の知識である。

菜根譚-074(天理路上甚寛)


天地の理に適った道というものは、全ての万物、現象がそれに従うもの
であるから、それに心を委ね、遊ばせれば無限の広がりを覚え何事をも
成し遂げられるのである。
所が、自分を第一に考える人欲の道は、道は狭く足を踏み入れれば、茨や
泥沼の如く進退両難、すなわち進むも退くも出来ないのである。

菜根譚-073(天地之気)


天地の気の作用は、春に草花が芽吹くように温暖になれば生育し、
冬の寒さによって、それを枯れ果ててしまう。
だから、人の持つ性格があまりにも潔癖で冷酷ならば、享受する幸福も少ない。
しかし、その性格が穏やかで暖たかみのある人には、多くの幸福が舞い降り
子孫に福をもたらすことが出来る。

菜根譚-072(十語九中)


その人の言っている事の十の内、九つまで当たっていても、必ずしも
たいした者と言って褒めるようなことは無い。
それに反してその内一つでも間違っていると、その一つの為に非難が
集中するのである。

また十の謀の内、九つまで成功しても、同じくほめられることは無い。
一つでも失敗すればそれまでの功績にも関わらず、非難轟々である。
故に君子は、あまり自分を出しすぎず少し控えめにし、どこか愚を
装って才能をひけらかさない。

愚作休題

いつも堅苦しい話しばかりなので、今回はわたしの愚作を披露したい。
近所のつつじ

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あじさい
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ゼニアオイ
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ミモザ
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菜の花
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百合
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菜根譚-071(福不可徼)


幸福はやみ雲に求めようとしても得られるものではない。
そこには、厳とした法則のようなものがある。
すなわち、良く喜神を養うというが、常に心の中に、感謝、楽しみ、
喜び、人の幸せを思う心などを養うことである。

また、災難は避けようとしても、その元を断たない限り避けることは出来ない。
それには、他人を陥れたり、利用しようとする害心を無くすことである。
そうすれば、その禍も軽微で済むのである。

菜根譚-070(燥性者火熾)


性急な性格すなわち、せっかちで気短な人は、火のように激しく、
出合った物をみな焼き尽くしてしまう性質を持っている。
情の薄い者は、冷酷で氷のように冷たい、よって冷気が水を
凍らせるように出会った者を必ず殺してしまう。
何事にも凝り固まって,融通のきかない者は、濁った水や腐木のように、
すでに生命力を失っている。
この三者は、どれも功業を立てるとか世の中の役にたつことは無いのである。

菜根譚-069(天之機緘不測)


天の計らいは、融通無碍で何の捉われも無く常にわれわれの想像を
超えて予想しがたい。
時には抑さえつけ、身動き出来ないようにし、またあるときは伸び伸びと
思いのままに事を成さしめる。
あたかも大波に翻弄される小船のように、英雄を翻弄し、豪傑を転ばしてしまう。
それに反し、君子は心が無心である故に、不運の時でも受け流し、順風なときは
常に危急に備えて怠ることは無い。
よって天も、そのような者を害することはできない。

菜根譚-067(為悪而畏人知)


悪いことをしていながら、他人にその悪事を知られるのを恐れるのは、
心のどこかに良心があるからで、悪いながらも善に向かう可能性がある。
その反対に良いことをしながら、その良いことを早く知られたいと急ぐのは、
善を行った、そのことの中に偽りがあり、根源を突き詰めれば悪なのだ。

菜根譚-066(人知名位為楽)


世間の人は、名誉や地位を得ることが一番の楽しみであるということは
知っているが、そのどちらもない境遇が最も幸せだということを知らない。
世間の人は、食べるものが無く、寒さを凌ぐ衣服が無いことがが厳しいことを
知っているが、食が十分に満たされ、衣服にも不自由しない者の憂いが
もっと深刻であることを知らない。
物質的な満足よりも、心に充足を感じる方が、はるかに優れているという譬え。
プロフィール

天地有情

Author:天地有情
孔子像(湯島聖堂)
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菜根譚の原文、書下し文は、こちら。
http://fanblogs.jp/yositugu88/

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